ぺっと

トラちゃん

近所に捨て猫があり、かみさんが拾ってきた。1月5日のことである。獣医さんに連れて行ったところ、生後6月とのこと。メスだし、いつ子を産んでもおかしくないので、捨てられたのだろう。検査をしたところ、回虫がかなりあるとのことだった。雑種だし、引き取り手もいない。今更、また捨てるのも可哀そうなので、拙宅で飼うことにした。回虫駆除、おしっこ検査、予防注射やら、物入りでもある。名前はトラとした。避妊手術は来月の予定になっている。初日からトイレの癖はちゃんとしていたので問題はあるまいと思う。人間の方がむしろ問題で、老人二人なので、最後まで面倒をみきれるかどうか心許ない。
あと一つの心配は、今いる猫の「茶目ちゃん」(16歳)との折り合いである。
添付はトラちゃんの御尊顔である。とにかくすばしこい。脱走したら大変である。猫は妊娠したら5,6匹は生む。絶えず気を付けていなくてはならない。しばらくは気が休まることはないだろう。

茶目ちゃんのパトロール

猫は一日に何回かパトロールに出かける。拙宅には猫ドアがあるので、そこから出ればよいのだが、茶目ちゃんは必ず玄関から出る。野良のクロちゃんと猫ドアで出くわすのが怖いのである。そこで老生の書斎のドアを開けてにゃおーとやる。老生は玄関に出て、茶目ちゃんのために玄関ドアを開けなくてはならない。
昨日は台風だったので、ドアを開けると外を覗いて、こりゃダメとばかりに戻るのを何回も繰りかえした。猫は外が雨ということが分らないらしい。いや、多分雨とはわかっても、出られないという判断には結びつかないらしい。しかし、時には雨でも出ることがある。判断基準は人間の老生には分らない。トイレのためではないようだ。濡れて帰ってきて、猫トイレに入るからである。外でのトイレはいやのようである。
記憶力が弱いわけではないのである。かみさんによると食事の際には、前回のえさがなにかちゃんと覚えていて、同じえさだと拒否するそうである。ぺっとは茶目ちゃん一匹だけで、競争がないので、贅沢になったのだろうか。

飼い犬の悲しみ

この記事は実は昨年12月6日に書いたものなのだが、掲載を控えていた。長辻氏の名文に恐れをなしたせいでもあるが、記事の趣旨をまげているととられるかもしれないと思ったからでもある。産経新聞に「交通死は現代社会の人柱か」と題する長辻論説委員の記事が掲載されていた。ご父君が交通事故で急死されたことにまつわる記事である。91歳のご高齢ではあったが、まことに壮健であったとのことであり、謹んでご冥福をお祈りする。しかし、老生が胸を打たれたのはお父上が飼っていたトイプードルにまつわるエピソードである。
以下、引用

伴侶に先立たれた父は、5歳のトイプードルと仲良く一人暮らしを続けていた。
遺体が自宅に戻ったとき、犬は父の顔にかじりついて悲鳴を上げた。それまで耳にしたことのない声だった。
葬儀所でも犬は棺の上に身じろぎすることなく座り続け、近所の人たちの涙を誘った。

こんなことがあるものなのか。忠犬ハチ公にしても学者たちは単なる習慣とか、あたかも犬が機械の一つのような解釈を下す。合理的な解釈をするなら、いつも愛してくれたご主人が冷たくなって帰ってきたことに、重大な異変を感じたということかもしれない。犬は自分を可愛がってくれる人を心底から愛している。犬は人間にとっては実に有用な存在であるから、目的に応じて改良が重ねられてきた。あたかも機械が次々に改善されてきたかのように。しかし、犬や猫を抱き上げるとぬくもりが感じられる。到底単なるものとは思われない。
ひところソニーのAIBOが話題になった。ロボット犬も人とのコミュニケーションではかなりの能力を備えていることは確かである。AIが囲碁の名人に勝つ時代である。今後さらに進歩すれば、介護などの現場では実に有用な存在になるであろう。しかし、このわんちゃんには心底からの悲しみが感じられる。生き物には温かい血が流れている。それと同時に心がある。人を愛するという心はAIがどんなに進歩しても実現することはないだろう。心は見せかけではないからである。