気のゆるみ

1週間ほど前、大阪で弁護士との接見を終えた容疑者が逃走する事件が起きた。メディアは連日大騒ぎである。警察の失態が責められるのは当然のことである。こんな事件では決まって、態勢のゆるみ、緊張感が足りないとの叱声が上がる。政治家の失言などでも同様である。決まり文句といってよい。ただとりあえず言ってみただけである。
この事件では、容疑者と面会者を隔てるアクリル板が蹴破られ、面会室の出入りの開閉ブザーは電池がなく、面会室の前室にはだれもいなかったという。気のゆるみといえば、それまでであるが、いくら警察であっても、瞬時も気を抜かず、緊張を持続させることはできない。人間だからである。
老生がまだ現役だったとき、同僚に職場恋愛で結婚を約束していたカップルがいた。結婚式がまじかになったある日、婚約者を助手席に乗せ、帰宅途中に追突し、婚約者は車外に投げ出され、当たり所が悪かったらしく、即死した。まことに気の毒な出来事で、一瞬にして幸福の絶頂から奈落につき落とされたようなものであった。
この場合には、いくつもの「もし」がある。もし、シートベルトをしていたら、もし、ドアロックをしていたら、もし、おしゃべりに夢中にならず、もう少し前方注意を怠らなかったら、もし、夕方で薄暗かったとしてもライトを事前につけていたら、もし、前方に路上駐車の車がなかったら、もし、スピードがもっとゆるかったら、等々である。運転は緊張感を以てとは常々言われることではあるが、誰にも気のゆるみはありうる。しかし、大抵の場合は事故には至らない。それはここで言った「もし」がすべて連続することはめったにないからである。ほとんどの場合は、交通規則と通常の運転マナーの順守だけで十分である。
警察の場合は、犯罪者が多いのであるから、一般人とは異なり、より緊張感が要求される。しかし、今回の場合も、やはりいくつもの「もし」がある。
専門用語になるが、有害な事態を生じるにはいくつもの要因が重なることが指摘され、それをイベントチェインという。どんな「もし」があるかは、現場により異なる。「もし」の検出と対策はそれこそ、最大の緊張感を以てしなければならない。その後は通常のやり方でよいのである。気のゆるみだってある程度は許容されるのである。

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