ハイキング

新潟県五頭連峰親子遭難

本年5月5日に小学生と一緒に登山した親子が新潟県五頭山連峰で遭難した事件は老生も取り上げた。SNSの発達は恐るべきもので、2回にわたり調査登山を実施し、Youtubeで報告している御仁がおられる。Youtubeで”新潟県五頭山連峰親子遭難”で検索すると出てくる。この報告で注目されるのは、ルートのどこでも携帯の受信が可能だったことである。スマホには、GPSが入っているから迷うことはないと、過信した可能性がある。ご遺体はルートからかなり外れたところで発見された。道迷いでビバーク後にあちこち歩き回った結果、滑落したのではないかと推定される。ルート上にはかなり完備した避難小屋があり、ストーブまであったので、早めに連絡ができていれば助かった可能性がある。驚くのは5月22日の段階でも雪が豊富なことで、雪と樹木にルートが覆われ非常に分かりにくかったと指摘されている。5月5日のあたりではさらにわかりにくかったであろう。肉体的にもかなりつらかったのではないだろうか。

遭難要因で最も多いのは道迷いと悪天候、転落である。現在でも遭難の40%は道迷いだそうである。昔は2万5000の地図、コンパスによる読図、ビバークの訓練がされたものである。15年ほど前からGarminが発売されて、精密な登山経路、自分の現在位置も容易に知りうるようになった。おまけにカシミールというソフトが発売されて、ルート計画をパソコンで容易にできるようになった。Garminは以前は英語版のみであったが、現在では日本語版も発売されている。高価なことが唯一の欠点だが、命の危険には代えられない。準備さえよければ、道迷いによる遭難は、ほぼ過去のものになったといってよいだろう。
日本の山は起伏が激しく、森林も深いのでほんの数mでどこにいるかわからなくことがある。屋久島の宮之浦岳は深い森と谷におおわれているが、毎年のように行方不明者が出ている。余談だが、砂漠は見通しがよいので迷いようがないと思いがちだが、実際はたかだか数m位の起伏があるので、いったん凹みに入ると自分がどこにいるかわからなくなるそうである。昔々のことだが、オーストラリアの内陸部に仕事で行ったとき、年に何人か行方不明者が出るということを聞いた。

爺婆だらけ

老生の趣味はハイキングのみである。最近は腰の具合がよくないので、行く機会がほとんどないのだが、せめて近郊のトレッキングだけでもというのが、願いである。暇なのでYoutubeでハイキングの動画を見るのが最近の楽しみなのである。添付はネットからパクった画像である。
槍ヶ岳の頂上への渋滞である。いつの画像かは知らない。槍の穂の写真だけ見ると、簡単に登れそうだが、岩登りになるので、頂上に登るには、穂の根元から40分ほどかかる。この写真では穂の根元に行くまでにすでに渋滞があるということだ。こんな渋滞はそう度々あるとは思えないが、写真を見ただけで嫌になるであろう。

夏の混雑時の小屋では寝るのも大変である。下はやはりネットからパクった。
老生は南アルプスの仙丈岳に登ったときにこの寝方を経験した。南アルプスは小屋数が少ないので夏季は非常に混雑する。この写真をみてもどんな寝方かは経験しないとわからないだろう。ずばりイワシの缶詰状態になるのである。頭と足が交互になるように寝ることが指示される。そのうえ、10人ほどがその体勢になったところで、小屋の係員が片方から押しまくる。人間の扱いではない。30年ほど前のことで、老生はまだ元気いっぱいであったが、文字通り一睡もできなかった。縦走する予定だったが、意気阻喪して翌日下山した。
そのうえ、最近は爺婆だらけだそうである。若かった当時のハイキングのすばらしさは忘れられない。元気だったあの頃の気分を味わいた。そんな人が多いのだろう。また安全なハイキングとなると、どうしても大勢の方が安心ではある。若いもんは爺婆だらけで嫌になるらしい。混雑を避けてハイキングのすばらしさを味わう方法はいくらでもある。もっともそれなりの技術が必要ではあるが。

山3題

落語に愛宕山という噺がある。京都の大旦那が大阪出身の幇間(たいこもち)を連れて愛宕山にピクニックに行く噺である。愛宕山は標高980mあり、叡山と並ぶ高い山だそうである。昔のことゆえ祇園あたりから歩いて登るとしたら、幇間のようなな軟弱な輩には大苦行に相違ない。落語ではいろいろにぎやかなエピソードが入り、とても楽しい話になっている。

愛宕山は東京にもあるが、標高26mである。天然の山としては、23区内では最高峰だそうである。登路には、正面から上るかなり急な男坂とゆるやかに迂回する女坂がある。男坂は曲垣平九郎が馬で登ったことから出世の階段として有名である。老生は学生の頃、愛宕町(今では、この地名も失われて新橋XX丁目とかいう味もそっけもない名称となった。)にいたので、ほとんど毎日散歩していた。頂上にはNHKの放送博物館や愛宕神社とともにお茶屋があったが、今はどうなっているだろうか。

北区にある飛鳥山は桜の名所であるが、ここが庶民の花見の場所として開放されたのは徳川吉宗の時代だそうである。桜もこの時代にかなり植えられたとされる。明治維新後、江戸時代はあたかも暗黒の時代かのように扱われることが多かったのであるが、実際には幕府は庶政にもかなり心配りしていたことがこれで分る。老生は15年ほど前、花見の時期に、ここを訪れたことがある。意外に狭いので、少しがっかりした。国土地理院の地図には記載がないそうなので、山というより周囲より少し高い丘の扱いらしい。

人工の山としては、新宿区戸山公園内にある箱根山が最高峰だといわれている。標高44.6mであるから、多分区内では最高峰であろう。江戸時代には富士講が盛んだったので、富士山に見立てた人工の山があちこちにできた。品川神社内の富士塚は老生も登ったことがある。登山口から頂上までせいぜい7m位であるが、登山口には立派な石柱の鳥居があった。生意気にも1合目から9合目まで石碑がある。浅間神社のミニアチュアもある。登山道は本物かのようにリアルである。江戸時代には懺悔懺悔を唱えながら白装束で登ったのであろうか。想像すると可笑しくなる。東京には江戸七富士とかいう富士塚があると聞く。いずれ行ってみたいものだ。