世相

多様性

たまたまTVを見ていたところ、外国にルーツのある青年を集め、ダイバーシティを論じる番組があった。ダイバーシティは「多様性」と訳すらしい。アンケートの公開があり、設問は多様性は良いと思うか、悪いと思うかということであった。「悪い」とする答えが「良い」よりかなり多かった。「多様性」なる言葉の定義をせず、良し悪しを設問とするのも、ずいぶん無茶な話ではある。司会者はどうやら多様性に理解を求めることが正しいと信じているのであろう。
老生は最近出不精になり、Youtubeを見るのが楽しみの一つである。パリに暮らし、働いている日本人の世間話にこんなのがある。たまたま白人ばかりのお店だったようであるが、日本人はみんな平べったい顔ばかりで、鼻も低い。あれでちゃんと息ができるとは不思議だと、面と向かって言われたとか、あんな細い目でみえるのかしらと言われたとかといった話である。言っている当人はもちろん差別意識も悪気も毛頭ない。小さいお店で、従業員はフランスではどちらかというと下層らしかったので、そんな話題は差別になるよと注意する人も周囲にはいないのだろう。インテリのいわゆる「ポリコレ」で粉飾した話よりはよほど正直で本音丸出しである。外見が異なるのは目立つのである。
日本はほぼ99%は人種的には同一であり、歴史上でもアジア人の流入はあったであろうが、白人や黒人の流入はほとんどなかったので、外国人との混血は外見上でもかなり異なり目立ちやすい。しかし、「多様性」は単なる善悪や外見の好悪の問題ではない。人がまとまった社会を構成し、平穏に暮らすには価値観があまりに異なる人は受け入れがたい。たとえば、嘘つき、泥棒などの犯罪者までいかなくても、攻撃的な人、社会性のない人は、のけ者にされやすい。
日本人は「和をもって尊しとなす」の社会であるが、普遍性のある価値観とはいいがたい。
極端な話にはなるが、ブラジルのアマゾンには嘘、だまし、暴力を是認し、自己の利益のみを善とするインディオ部族があるそうである。ただし、この部族の人口は減少する一方であるとのことである。それはそうだろうというのは日本人だけの納得で、日本社会ですら、たとえばやくざなど価値観が全く異なっている集団がある。国レベルでも文化や価値観は多様である。「和をもって尊しとなす」だけで世界を相手にできるほどには単純ではない。単なる善悪を離れ、現実を知ること、そのうえでどう対処すべきかを考えたい。

気のゆるみ

1週間ほど前、大阪で弁護士との接見を終えた容疑者が逃走する事件が起きた。メディアは連日大騒ぎである。警察の失態が責められるのは当然のことである。こんな事件では決まって、態勢のゆるみ、緊張感が足りないとの叱声が上がる。政治家の失言などでも同様である。決まり文句といってよい。ただとりあえず言ってみただけである。
この事件では、容疑者と面会者を隔てるアクリル板が蹴破られ、面会室の出入りの開閉ブザーは電池がなく、面会室の前室にはだれもいなかったという。気のゆるみといえば、それまでであるが、いくら警察であっても、瞬時も気を抜かず、緊張を持続させることはできない。人間だからである。
老生がまだ現役だったとき、同僚に職場恋愛で結婚を約束していたカップルがいた。結婚式がまじかになったある日、婚約者を助手席に乗せ、帰宅途中に追突し、婚約者は車外に投げ出され、当たり所が悪かったらしく、即死した。まことに気の毒な出来事で、一瞬にして幸福の絶頂から奈落につき落とされたようなものであった。
この場合には、いくつもの「もし」がある。もし、シートベルトをしていたら、もし、ドアロックをしていたら、もし、おしゃべりに夢中にならず、もう少し前方注意を怠らなかったら、もし、夕方で薄暗かったとしてもライトを事前につけていたら、もし、前方に路上駐車の車がなかったら、もし、スピードがもっとゆるかったら、等々である。運転は緊張感を以てとは常々言われることではあるが、誰にも気のゆるみはありうる。しかし、大抵の場合は事故には至らない。それはここで言った「もし」がすべて連続することはめったにないからである。ほとんどの場合は、交通規則と通常の運転マナーの順守だけで十分である。
警察の場合は、犯罪者が多いのであるから、一般人とは異なり、より緊張感が要求される。しかし、今回の場合も、やはりいくつもの「もし」がある。
専門用語になるが、有害な事態を生じるにはいくつもの要因が重なることが指摘され、それをイベントチェインという。どんな「もし」があるかは、現場により異なる。「もし」の検出と対策はそれこそ、最大の緊張感を以てしなければならない。その後は通常のやり方でよいのである。気のゆるみだってある程度は許容されるのである。

独立講演会

青山繁晴参議院議員の独立講演会を聴講した。この講演会は東京都、関西で隔月に行われているそうだ。非常に人気が高く、抽選になるという。老生は初めてだが、当選したので参加した。参加費は5000円なりで、老生のような年金生活者にとっては一呼吸必要な額である。有楽町の朝日ホールが会場であったが、豪華な会場であった。都心にはめったに出かけないので、お上りさん気分である。

内容それ自体は昨今のモリカケ問題の解説、先日の参議院の質問、持論のメタンハイドレードに関わるエネルギー問題等である。面白かったのは例の森友学園でも2回講演していることで、籠池夫人のトンデモ振りである。老生なんぞは歳のせいでなんでもすぐ忘れるのだが、会話の内容を微に入り細にわたり再現するのには恐れ入った。安倍夫人もこのトンデモに引っかかったほうであるが、人が良いにも程があろう。

驚くのはエネルギッシュなことで、なにせ5時間を立ったまま原稿もなく早口でしゃべりとおす。如何に講演慣れしているといっても尋常ではない。ご当人はF1レーサーの資格があるらしいので、肉体的、精神的な強靭さは並外れている。選挙運動の時に交通事故にあい、頸椎捻挫をしたがいまではなんともないという。老生の知人でまだ20歳位のときにオートバイ事故で頸椎捻挫をした人は10数年経過しているのに、いまだに後遺症を引きずっている。こんな例を考えると、超人的といってもいいくらいである。

政治家としても政治資金は受け付けない。後援会もない。敵が多いので隙を作らないのであろうか。活動資金は著作と講演による自己資金のみのようだ。これではかなり苦しいと思われるが、スタッフも献身的なのであろう。しかし、大学教授でもあって、学生のフアンも多いらしい。時間、費用を考えると大学教授を兼ねるのは大変と思われる。人間的魅力に富んだ人なのであろう。

老生が少し引っかかったのは皇室に対する言及であった。皇室については報じられた当事者は一切反論しないので一方的な書き得になる。出身が記者なので取材から得た情報なのであろうが、通常とちがい、肝心の陛下や皇太子殿下への取材はできないので所詮は伝聞である。しかも、宮内庁の担当官が皇室に対する忠誠心も尊敬の念も欠いているのであるから、内容が一方に偏する。先ごろの毎日新聞がご譲位に関し、陛下が有識者懇談会に不満をもっておられるとする記事が典型であって、宮内庁は即座に否定したが、毎日新聞は言いっぱなしである。何ら反省の気持ちもない。老生は皇室情報は公式なメッセージ以外はすべてデマと心得ている。

青山氏は今上陛下の家庭教師がイギリス人で左翼なのでその影響があるかのようにいったが、これはヴァイニング夫人のことであろうから、米国人である。単に伝聞だけで論評するのは記者の悪い癖であろう。夫人はクェーカー教徒であるから、左翼とはなんの関係もない。保守的な人である。小泉信三氏はヴァ夫人をノーブルな心を持った人と言っているから、人柄も察せられるであろう。引退後に「皇太子の窓」なる回想録を書いたが、一部からはたかが家庭教師の分際で云々と批判もあった。しかし、これはマッカーサーの威光を背景とする当時の事情からすると、ある程度上から目線になるのはやむを得ないであろう。

雅子妃についてもずいぶん批判的なようであるが、これも世の風潮に惑わされている。西尾幹二氏を始めとし、雅子妃に対してはかまびすしい批判がある。老生は氏の論文?とかいうものはだいぶ読んだが、結局何が問題なのかさっぱりわからなかった。要するにキライだといっているに過ぎない。文学者なので絢爛たるレトリックで覆っているだけである。そもそも女性皇族の祭祀への参加がないとはもともと参加しないのが当然なので、言いがかりでしかない。香淳皇后の場合でも陛下が祭祀をなさる際はお慎みなさるだけだあったといわれている。公務云々に至っては公務とは何かが一向に解らない。老生は皇室に言及するのなら、取材力を生かした活動をしてほしいと希望したい。たとえば皇室費である。