年月

当節の流行語

老生は年金暮らしなのでほとんど自宅であれこれやっている。あまり閉じこもってばかりいると、半ぼけも進行するので時々は講演会などにもでかける。先日のことであるが、ある技術専門職の会合に参加した。講演自体は興味深いものであったが、今日の話題はその後の懇親会での話題である。

韓国のサムスンや現代の総帥が社員に専門を3つ持てと檄を飛ばしているのだそうである。社員は土日もなく、勤務時間が終わってからまた大学にいくように奨励されているのだとか。専門を3つ持つためにひたすら克己精励すべく、努力している。すごいではないかというわけである。韓国を模範として日本もがんばれと、こちらも負けじと檄をとばすのである。檄をとばすご本人は年金暮らしであるから、気楽なものである。どうやら韓国企業が躍進しているとかで、”韓国に学べ”が流行しているらしいということだけは分かった。

これで思い出したことがある。30年ほど前であるが、老生がまだ現役の時代にはT型人間になれとしきりに言われた。あるべき技術者とは幅広い教養をもち、その上で専門分野では突出した能力を持つのが望ましいとされた。それから10年位すると今度はT型では不足でΠ型(ギリシャ文字のパイ)でなくてはならないと、また檄をとばされた。専門能力は一つでは足りないというわけである。この時代はすべて欧米が模範であるから、その後でアメリカではなんたらかんたらと長々とお説教が続くのであった。時代により流行があるのである。マルチ人間とかいう方は確かにいる。その当時の同僚にも有名大学を出て、その上に米国でMBAを取得した方もいた。残念ながらこの方は、MBAの資格を生かすべく、あっさりとコンサルタント会社に転職した。その後の噂はきかない。突出した才能を持つ人間は別に檄をとばされようがどうしようが、独自に行動し、成果をだす。余計なおせっかいは不要である。京大の山中先生は専門の整形外科では手術が下手でジャマ中といわれたそうである。ips細胞でノーベル賞を受けるまでに至ったが、おそらく働きぶりも猛烈なのであろう。それでも山中先生ご自身はとても謙虚なお人柄にお見受けする。山中先生を支えるチームの素晴らしさが透けて見える感じがする。

ノーベル賞ほど突出した存在は別としても、一般に現代の製品は一つの専門では到底処理しきれないほど複雑である。それをシステムという概念でひとくくりにする。例えば先ごろ完成したスカイツリーは巨大でありながら、極めて精密なシステムであって、数多くの専門技術者のチームにより完成している。それでは携わる人間はみなマルチ人間でなくてはならないのか。それは無理であろう。

旧約聖書にバベルの塔という話がある。天まで届く塔を建設しようとしたが、神は人々が異なる言葉を話すようにさせたので塔は崩壊したとある。複雑なシステムを作るには異なる専門技術者を多数必要とする。しかも、彼らはそれぞれの専門用語で話すからコミュニケーションが難しい。マルチ人間がいたら解決できるという考えは浅薄である。マルチ人間の才能は特別であるから、組織にはなじまない。異才の人を除けばたいていの人間は一つ若しくはせいぜい二つの専門領域しかもてない。異なる専門技術者を多数束ね、かつコミュニケーションをどうとるかの技術こそが重要であり、さらには周囲の人間を動かす説得力、説明力が求められる。それらを束ねる管理者はなおさらである。現代の技術者は自己の専門領域に通じるのは無論だが、むしろそれを他領域の専門家にわかりやすく表現する力こそが重要となっている。また、そのためのスキルを得る方法も多数開発されている。

そこで冒頭の話に戻る。しゃにむに働け、土日も残業も厭うなという話は老人には好ましい話題である。自らの成功体験がそうさせるからである。しかし、追いつけ追い越せの時代は良かったが、それで独創的な仕事はできるのだろうか。家庭はどうなるのだろうか。現在では女性もチームの重要な一員である。猛烈は彼女たちの感性に合うのだろうか。専門的領域だけではなく、もっと広く人とコミュニケーションをとる必要はないのだろうか。そうして初めて複雑で独創的なシステムのチームが造れるのではないだろうか。山中先生のような人間力こそが大事なのではないだろうか。筆者の感想は全員がマルチ人間になれ、24時間会社人間になれというのはもはや30年古いのではないだろうかということである。