2014年11月

ステレオタイプ

先週のメディアは解散総選挙と高倉健の訃報で埋め尽くされた感がある。老生は仙人ではないが、メディアはどれも決まりきった報道ばかりで、ほとんど見る必要もなかった。ネットをみていると今回の解散を高倉健追悼解散なんて皮肉っぽくいっているところまである。解散は大義がないとかいうのが流行のようである。なんにも言うことがないので、苦し紛れに叫んでいるようにも聞こえる。大義なんておそろしく時代がかった感じもする。

あるブログを見ていたら、不意打ちテストをやられた学生が不意打ちテストの大義は何か、なんてぶつぶつ言うのに似ているというのには笑ってしまった。政治家は常在戦場とか時代がかった言葉が好きらしいので、、大義なんて言葉も受けるのだろうか。庶民にはほとんど無意味に聞こえる。

前回の総選挙で老生の所属選挙区でのある候補のキャッチフレーズは「1円も無駄にしません」だった。これも実に空虚な言い方である。老生のような貧乏人ですら1円も無駄にしないなんてのは、不可能である。おそらくこの言い訳は現実ではなく取り組む精神をいうのだともいうのであろう。この候補は前々回も同じ言い方でしかなかった。他に知恵はないのかと罵詈讒謗も投げつけたくなる。市会議員の選挙などでも、駅前でひたすら壊れたレコードのように連呼を繰り返す候補者もいる。おそらく愚民にはこの程度で十分と見くびっているのであろう。

各政党はアベノミクスは失敗が合言葉のようである。どうやら庶民はすぐ忘れると思っておられるようだが、昨年からの増税談義の際には、口を開けば財政再建をいい、景気の先行きは問題ないと世の経済評論家はごく少数を除いて、口をそろえて言っていたはずである。老生があきれたのは昨年にTVの報道2001でエコノミスト90人余りに意見を聞いたところ、全員が増税賛成だったことである。念のためにいうと子孫のためにつけを残すべきではなく、窮しても増税を忍ぶべきなどの道徳論を吐いた評論家は一人もいなかった。それならそれで、賛同はしないが筋は通っている。

今更、評論家や政治家の浮草のような言説をあげつらうつもりもない。老生は職人なので経済はほとんどわからない。ただ、みなさんのおっしゃったことは忘れていませんよと申し上げたい。