2011年05月

年号

日本には年号という制度があり、進歩的な人(古いか)には目の仇にされる。時代遅れ、封建的、覚えにくいなどいろいろあるらしい。確かに、今年の大震災など2011年と平成23年を両方覚えるのは当座はできてもそのうちどちらかは忘れそうだ。いろいろな事象について両方覚えるのは至難といえそうだ。

しかし、これは両方を覚えなくてはならないという思い込みから来ているだけのことである。少なくとも、明治以降は一世一元の原則が確立されたから両方を覚える必要はさらさらない。基礎数字を元に、換算すればよいだけである。基礎数字とは何か、明治:33、大正:11、昭和:25、平成:88、これだけである。実に覚えやすい切りの良い数値となっている。明治33年は1900年であるし、大正元年は1912年、昭和元年は1926年、平成元年は1989年である。西暦から年号へ、あるいはその逆もこのやり方で簡単である。偶然とはいえ、神の御業かと思われるほどだ。ついでに言えば皇紀も西暦と660年違うというからこれも覚えやすい。

換算には少なくとも簡単な引き算か足し算はしなくてはならないが、この程度の暗算ができないオツムでは西暦でも無理であろう。年号で覚えておけば世相の移り変わりを記憶するに便利であるし、私は年号をお勧めする。もっとも歴史全般では難しい。私が大学を卒業して就職した会社は嘉永6年ペルリ来航の年に創業とかいう古い会社であったが、さすがにこれは両方を記憶するしかなかった。
2011.5.27 7.59 PM

ほほえみ

犬やねこは笑うのだろうか。人間みたいに「アハッハー」なんて破顔一笑することはないだろう。しかし、ねこがリラックスしているときはどうだろう。そんなときに表情が緩むことはあるに違いない。岩合光昭氏の「海ちゃん」に掲載された写真は表情が緩むというよりも、確かに微笑んでいる。もう少しで笑っているというくらいよく撮れている。これはプロのカメラマンだからこそできることに相違ない。もっともモデルもミス何とかになりそうな美猫ではある。この写真は以前うちに居た「たま」ちゃんである。「海ちゃん」には少し遅れをとりそうだが、目を細めてにっこりしていると見えるのだがどうだろうか。飼い主の贔屓目だろうか。たまちゃんお気に入りのベッドにいたところをパチリとやったのである。

ぶーちゃん

ぶーちゃんは野良である。ひどい名前と見る向きもあるだろうが、なにせこの不敵な面構えだし、野良ゆえ適当にした。普通野良猫は家の猫と喧嘩をするし、人間を見たらすぐ逃げ出すのだが、この猫は違って、猫ドアからなんなく入り込んでしまい、えさを食べては昼寝までして帰るようになった。

後で聞いたらぶーちゃんは雌猫と連れ立って、近所の家にも上がりこみえさをねだっていたとのことで、奥さん方にも贔屓が多かったとのことである。無類に人懐っこい猫であった。推測するにこの猫はもともと飼い猫で、さかりの時期に家出をし、そのまま帰れなくなったのではあるまいか。

雌猫には人気絶大で、我が家の猫共は大体においてよその猫には喧嘩腰なのだが、ぶうちゃんだけは例外であった。猫の好みは分からないが、よほど魅力があったと見える。写真の面構えからも迫力満点である。言い方はおかしいが、威厳すら感じられる。外見からはマッチョにみえるが、意外なことに、気質はとても温和であった。

我が家に住み着いてから1年ほどして、ある日ふと見たら、目がおかしい。獣医さんに見てもらった。癌とのことであった。脳にも近いし、眼球を摘出しても治るかどうかわかりませんとのことである。もともと野良だし、可哀想だがそのまま見守ることにした。それから2月ほどで死んだ。死ぬ間際まで室内では全く粗相をせず、なんとか猫ドアから出入りし、毎日トイレに通い、静かに死んでいった。天晴れ猫侍とでも言いたい気持ちである。合掌

2011.5.24 9.08PM