ハイキング

山3題

落語に愛宕山という噺がある。京都の大旦那が大阪出身の幇間(たいこもち)を連れて愛宕山にピクニックに行く噺である。愛宕山は標高980mあり、叡山と並ぶ高い山だそうである。昔のことゆえ祇園あたりから歩いて登るとしたら、幇間のようなな軟弱な輩には大苦行に相違ない。落語ではいろいろにぎやかなエピソードが入り、とても楽しい話になっている。

愛宕山は東京にもあるが、標高26mである。天然の山としては、23区内では最高峰だそうである。登路には、正面から上るかなり急な男坂とゆるやかに迂回する女坂がある。男坂は曲垣平九郎が馬で登ったことから出世の階段として有名である。老生は学生の頃、愛宕町(今では、この地名も失われて新橋XX丁目とかいう味もそっけもない名称となった。)にいたので、ほとんど毎日散歩していた。頂上にはNHKの放送博物館や愛宕神社とともにお茶屋があったが、今はどうなっているだろうか。

北区にある飛鳥山は桜の名所であるが、ここが庶民の花見の場所として開放されたのは徳川吉宗の時代だそうである。桜もこの時代にかなり植えられたとされる。明治維新後、江戸時代はあたかも暗黒の時代かのように扱われることが多かったのであるが、実際には幕府は庶政にもかなり心配りしていたことがこれで分る。老生は15年ほど前、花見の時期に、ここを訪れたことがある。意外に狭いので、少しがっかりした。国土地理院の地図には記載がないそうなので、山というより周囲より少し高い丘の扱いらしい。

人工の山としては、新宿区戸山公園内にある箱根山が最高峰だといわれている。標高44.6mであるから、多分区内では最高峰であろう。江戸時代には富士講が盛んだったので、富士山に見立てた人工の山があちこちにできた。品川神社内の富士塚は老生も登ったことがある。登山口から頂上までせいぜい7m位であるが、登山口には立派な石柱の鳥居があった。生意気にも1合目から9合目まで石碑がある。浅間神社のミニアチュアもある。登山道は本物かのようにリアルである。江戸時代には懺悔懺悔を唱えながら白装束で登ったのであろうか。想像すると可笑しくなる。東京には江戸七富士とかいう富士塚があると聞く。いずれ行ってみたいものだ。

ハイキングの危険

老生はスポーツ音痴といってよいほどに、スポーツは苦手である。小学生のころには、かけっこは常にびりであった。野球などではきまってドジをふみ、仲間外れになったものである。たった一つの例外はハイキングで、20代から70代後半までほぼ50年以上親しんできた。
5月に新潟で小学1年の男の子共々30代の男性が遭難した事件があった。誠に痛ましい事件で、老生から見ても胸がつぶれる思いがした。待望の男の子、ようやく1年生になり、ハイキングに出かけられる。楽しい期待に胸が躍ったであろう。お父さんの思いは痛いほどよくわかる。天候が良く、新緑の季節のハイキングほど楽しいものはない。老生は新聞記事以上のことは何も知らないので、後講釈であれこれ言いたくはない。謹んで哀悼の意を表したい。
老生は60代までは冬山も含め、ほとんど単独行であった。70に入りさすがに不安を感じ、さるハイキングクラブに所属したが、そこも70後半になるとコースタイムを維持するのが難しくなり、同行メンバーの負担になるばかりなので、退会した。
それでも行きたいので、サンケイ新聞の山の安全フォーラムに参加したことがある。講演では安全な登山のための条件がいろいろ語られた。遭難の3大要件が指摘された。1.男性、2.単独、3.高齢である。まさにずばり老生に当てはまる。止めた方が良いのは分り切っている。それでも行くというのはよほどのアホであろう。
初心者向きのハイキングコースは、奥多摩地域にはたくさんある。しかし、実際にはうっかり足を踏み外すと、30m位は転落する道がいくらでもある。遭難事件も頻繁に発生している。武蔵丘陵だとかなり安全になる。だからと言って絶対安全とは言えない。躓いただけで骨折することもある。やはり無理の様である。

富士登山後日談

7月に富士登山をし、念願のお鉢回りをしたことは書いた。12月に入り富士山本宮浅間大社から封筒が届いた。開けてみると「平成24年富士山高齢登拝者名簿」とある。70歳以上は頂上の奥宮社務所に記帳できて扇子を頂くことができる。全員の氏名、年齢が記載されている。これだけの名簿を作成するのも大変な手間であろう。感謝を以て受領する。 (さらに…)