世相

クレジットカード

老生は年寄りとしては、気軽にクレジットカードを使うほうである。新聞などでは個人情報が洩れて、勝手にカードを使われる話があるが、これまで自分は被害にあったことはなかった。ところが、今日カード会社から電話があり、昨夜100万の買い物をしたようだが、覚えがあるかと尋ねられた。カード会社からはほかにも複数の買い物があるので、一応支払いは止めてあるとのこと。もちろんそんな多額の買い物は身に覚えがない旨お話しし、カードは直ちに停止してもらった。カード会社の審査はどんな仕組み化は知らないが、買い物の内容を監視し、異常なデータはすぐ検出されるようである。なんとも恐ろしい話ではある。

老人は出不精になるし、宅急便の発達でネットとクレジットは買いすぎにさえ注意すれば、実に便利なものである。しかし、一方では今回のように、他人によるなりすましも生じる。老生の買い物は、普段少額のものが多いので、検出も容易だったのかもしれない。しかし、少額の買い物を連続してやられたら、カード会社が気が付くかどうかはわからない。老生は毎月支払いはチェックするが、いったん支払われた場合の異議申し立てはどうするのだろうか。そのあとの手続きを考えると空恐ろしくなる。だからと言って、一々お店に行き、買い物をする気力もない。便利さと引き換えの危険はどうしようもないのだろうか、当面はネットでの買い物は特定のサイトとし、知らないサイトは利用しないこと、カードは時々変更するなどの防衛策をとるしかないようだ。

カードによる支払い情報が異常と検出されることは、一面からすると、老生の生活のかなりの部分がカード会社からは、お見通しということでもある。知られて困るようなことはないは言え、薄気味の悪い事ではある。

多様性

暇なので最近はYoutubeが娯楽となっている。オーストラリア人と日本人の国際結婚の
カプルのYoutubeが面白かった。日本の良いところ悪いところをオーストラリア人の細君が縷々取り上げていた。良い点というか気に入っていたのはまず四季が明確なことだそうである。オーストラリアにも四季はあるが、日本ほどはっきりしていない。なんとなく季節が移り替わる。また、日本は南北に長いので、土地により全く異なる。しかし、オーストラリアはどこでも同じである。

日本はその土地毎に歴史、風俗、習慣、文化が違う。季節ごとにお祭りがある。オーストラリアはどこでも平均している。家のつくりも日本では土地毎に違うがオーストラリアではどこでも同じである。多様性という点では日本は際立っている。治安の良さ、人々が温和で争いが少ないことは最大である。

日本で最も嫌だったのは硬直性だそうである。これがきまりですというとテコでも動かない。細かい事だがこの女性はベジタリアンなのだそうで、レストランで肉を抜いてくれといっても頑として聞かない。この女性は日本語がかなり話せるらしいのだが、日本語で注文しても覚束ない英語で答える。外人は日本語が話せないと決めてかかっているらしい。旦那と一緒にレストランに入っても旦那にばかり話しかける。レストランやお店のサービスが丁寧なのは良いのだが、ロボットがやっているようで嫌だったそうである。オーストラリアでのサービスははるかにぞんざいだが、しかし、人間的だそうである。ありがとうという言葉自体もそう思わなければ言わない。

多様性

たまたまTVを見ていたところ、外国にルーツのある青年を集め、ダイバーシティを論じる番組があった。ダイバーシティは「多様性」と訳すらしい。アンケートの公開があり、設問は多様性は良いと思うか、悪いと思うかということであった。「悪い」とする答えが「良い」よりかなり多かった。「多様性」なる言葉の定義をせず、良し悪しを設問とするのも、ずいぶん無茶な話ではある。司会者はどうやら多様性に理解を求めることが正しいと信じているのであろう。
老生は最近出不精になり、Youtubeを見るのが楽しみの一つである。パリに暮らし、働いている日本人の世間話にこんなのがある。たまたま白人ばかりのお店だったようであるが、日本人はみんな平べったい顔ばかりで、鼻も低い。あれでちゃんと息ができるとは不思議だと、面と向かって言われたとか、あんな細い目でみえるのかしらと言われたとかといった話である。言っている当人はもちろん差別意識も悪気も毛頭ない。小さいお店で、従業員はフランスではどちらかというと下層らしかったので、そんな話題は差別になるよと注意する人も周囲にはいないのだろう。インテリのいわゆる「ポリコレ」で粉飾した話よりはよほど正直で本音丸出しである。外見が異なるのは目立つのである。
日本はほぼ99%は人種的には同一であり、歴史上でもアジア人の流入はあったであろうが、白人や黒人の流入はほとんどなかったので、外国人との混血は外見上でもかなり異なり目立ちやすい。しかし、「多様性」は単なる善悪や外見の好悪の問題ではない。人がまとまった社会を構成し、平穏に暮らすには価値観があまりに異なる人は受け入れがたい。たとえば、嘘つき、泥棒などの犯罪者までいかなくても、攻撃的な人、社会性のない人は、のけ者にされやすい。
日本人は「和をもって尊しとなす」の社会であるが、普遍性のある価値観とはいいがたい。
極端な話にはなるが、ブラジルのアマゾンには嘘、だまし、暴力を是認し、自己の利益のみを善とするインディオ部族があるそうである。ただし、この部族の人口は減少する一方であるとのことである。それはそうだろうというのは日本人だけの納得で、日本社会ですら、たとえばやくざなど価値観が全く異なっている集団がある。国レベルでも文化や価値観は多様である。「和をもって尊しとなす」だけで世界を相手にできるほどには単純ではない。単なる善悪を離れ、現実を知ること、そのうえでどう対処すべきかを考えたい。